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自分探しの第一歩

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()()() などについて人生のどこかで悩むことは誰しもにあると思います。
ジェネレーションによって傾向は違うと思いますが、自己のアイデンティティーとか個性とか
「自分は一体どこへ向かっている誰なんだろう?」
と、思い始めるのは日本人の場合、22歳前後でしょうか。
自分は他人と別ものであるという認識(self-recognition)は生後18ヶ月から芽生え、その後私達はどのようにして自己の理解を深めていくのでしょう。

人と周りとの調和を大事にする日本文化では、個性的でありたいと思っても右に倣えの信念で教育されます。制服、通学班、皆で揃って「いただきます」の給食、班行動による連帯責任など、これから先社会に出て機能していく上で大切な ()()()()() を学びます。自分という個人は集団の一員として存在し、役割を果たすことを求められるのです。しかし、

自分が自分に求めることとは、集団と切り離されたときどんなものになるのか・・・自分探しの欲に駆り立てられる時期が来るのです。

切っ掛けは、「何故やりたいことを遂行できないのだろう」「何故自分は常にYesマンなのだろう」「何故不幸な恋愛ばかりしてしまうのだろう」などと考える状況に陥ったときかもしれません。
あるいは究極、「何故生きているのだろう」「何故生きていなければならないのだろう」「何故そもそも生まれてくることになったのだろう」と感じざるを得ない辛い目に遇ったときかもしれません。

自分がどんな大人に成りたかったのかははっきり分からなくても、少なからず現在の自分の在り方には満足を覚えなかったりします。
模索している間、女同志で答えを探そうと会話を交わしたり、男同志で夢を大きく描きあったり、一人で汗を流しながら考えたりすることは素敵な第一歩です。
中には時間が過ぎれば解決するからと面倒くさがる人もいるかもしれませんし、自己逃避をしてギャンブルやドラッグなどの危険な行為にすがってしまう人もいるかもしれません。客観的に自分を診断するかのような占いに頼りたくなったりもするかもしれません。

自己の姿を確実に捉えようとするとき、人間は他人との関係からそれを浮彫にさせようとしますが、ここで一つ気を付けたいことがあります。
外側から見られる自分(他人が自分に期待する像)に無理して寄せようとしないことです。周りの望む自分を演じていると、足元をすくわれ本当の自分が分からなくなってしまうのです。
自己分析を一人の時間にしっかり行い、「なりたい自分像」をしっかり持って、自立した自己に誇りを持ちましょう。
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